写真で。。

昨日撮影した夷隅郡大多喜町の写真でお楽しみ下さい♪♪
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戦国初期は武田信玄で余りにも有名な甲斐源氏と同族の
上総武田氏の城下町でした
それを駆逐したのが里見氏の客将だった正木氏です
鎌倉幕府の重鎮であった三浦氏の末裔です
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1590年、豊臣秀吉の小田原・北条攻めに里見氏は秀吉に加担しました
が、近隣の北条方の領土をどさくさに紛れて浸食したのです
で、小田原攻めに遅参。
秀吉に上総南部を取り上げられ、安房一国に封じ込められてしまいました
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徳川家康三河遠江駿河、甲斐、信濃と引き換えに関東を賜り、
家康は里見氏との最前線に当たる大多喜に
徳川四天王で勇猛果敢な本多忠勝を10万石で配しました
それまでの城は大多喜町泉水にあり、根古屋城と呼ばれていましたが
鉄砲出現の戦法では防御できないとの理由で、今の地に忠勝が築城したのです

大多喜駅です
大原駅と並んでいすみ鉄道の中心駅です

造り酒屋です
天保年間の創業だそうです

町並みです

渡辺家。
江戸後期の商家だそうです

二の丸(現・県立大多喜高校)から見た本丸です
手前は大井戸です。日本一とか。

復元された本丸の出入り口です
総南博物館になっています

本丸の全体写真です

本丸から見た二の丸です
(県立大多喜高校の建物の一部とグラウンドの一端)

唯一現存する大多喜城の建物、薬医門です
大多喜高校の前身、旧制・大多喜中学では正門として使用されたそうです